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清洲会議とは信長亡き後の織田家の今後について話し合われた会議のことです。会議に出席したのは、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興、羽柴秀吉の4名。
おそらく、秀吉にとって絶対に失敗することのできない、運命を賭けた戦のような会議だったことでしょう。結果として、秀吉は織田家中での発言力と存在感を大きくすることに成功しました。
出席した重臣の序列からいえば末席だった秀吉がなぜ、思いのままに会議を主導できたのか。
今回は、清洲会議における秀吉の会議術についてみていき今後の会議の参考にしたいと思います。
清洲会議については諸説ありますのでそのなかの一つかも程度としてご覧ください。
キーパーソンを抑える
もともと犬猿の仲と言われていた勝家と秀吉は意見を激しく対立させます。今後の織田家中の主導権をどちらが握るのか。結果的には秀吉の意見が通るわけですが、その理由はキーパーソンの存在にありました。
このときのキーパーソンは丹羽長秀です。勝家と秀吉に意見できる立場にあり人望もありました。長秀が秀吉の推挙した三法師に賛同したため恒興も同調し秀吉の勝利となったのでした。
事前の根回しを欠かさず
いくらキーパーソンが納得できる意見を会議中に出したとしても、突然の提案では賛同してくれるかどうかわかりません。特に今回のような絶対に負けることの許されない会議では危険すぎます。
人たらしと呼ばれた秀吉は根回しを忘れませんでした。この会議では織田家の後継者を決めることの他に領地の再分配をすることになっていました。亡き信長と信忠の領地を今後誰が治めるのか。
秀吉は、後継者選びで自分に賛同してくれれば領地分配ではあなたの求めるままに賛同しますよと長秀と恒興に根回ししていたのでした。長秀や恒興にとって今回のケースでは後継者選びよりも領地獲得のほうがむしろ重要だったのかもしれません。
秀吉は会議が始まる前から戦いを始めていたのでした。
第三者に説得してもらう
今回の会議を招集したのは勝家でした。天下統一目前といわれていた信長ですが上杉、後北条、長宗我部、毛利と四方は敵に囲まれていました。混乱が長引けば敵がどうでるかわからない。こんな状況で家臣筆頭である自分に逆らう者はいないと勝家は思っていたのかもしれません。
この会議の途中で秀吉は、突如席を立ったといいます。対立相手がいなくなった勝家は結論を急ぎます。いないうちにさっさと決めてしまおうと。ですが、長秀に「仇を討ったのは秀吉なのだから秀吉の意見を尊重しよう」と逆に説得されてしまうのです。
キーパーソンである長秀にそう言われてしまった勝家は了承するしかありませんでした。
まとめ
この会議で秀吉は、自分の推挙した三法師を後継者とし勝家以上の領地を獲得します。その結果、織田家中での発言力と存在感は大きくなり、天下人への道を歩んでいくことになったのでした。
秀吉が駆使した巧みな会議術。会議で駆使してみてはいかがでしょうか。
以上、清洲会議における秀吉の会議術についてでした。
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